福島県・会津若松-ココ職旅

7月23日

福島県は会津、会津木綿の産地。皆さん、会津木綿ってご存知ですか?
私は恥ずかしながら名前しか聞いたことがありませんでした。もちろん、触ったことはありません。

初めて触れたきっかけは「キュー<que;>」という、このプロダクトがきっかけ。
その発色やふんわりしているのにしっかりしている感じ、なかなか素敵な布素材じゃないか!ということで
現地取材へ。

その結果、すっかり会津木綿の良さにハマってしまいました。
その風合い、貴重さ、使いやすさもさることながら地元の人たちに愛され、また多くの人が関わり綿々(文字通り)と息づいているこの素晴らしい布よ。

新しく加わったSTAFF岩澤の旅デビューでもありました。

是非、ご一読ください。

★★★★★★★★★★★★

待ち合わせの時刻は午前10時半。横浜を4時半に車で出発、原山織物工場に到着です。うーん、暑い。東北とはいえ都心と1度しか気温が変わらない!
はらっぱ

会津若松で120年その暖簾を守り続けた会津木綿工場の「原山織物工場」

原山織物さんは、実は一度閉じた工場なのです。

前社長の従兄弟である小野太成さんと、会津木綿をメインの素材としてお洋服を作って来た「ヤンマ産業」の山崎ナナさんとで「(株)はらっぱ」を立ち上げました。

織物を愛する色んな方々の協力を得て、会津木綿の再現と復活に邁進しています。染色をしていた前社長がいないため、織物は出来るようになりましたが、染め場は封鎖されたままです…

原山織物工場は唯一の「染めから織りまで」できる工場でした。なので、完全復活のためにも、当面の目標は「染め場の復活」です!

かように、「会津木綿」なんてどっかで聞いたことある布だしたくさん作ってるんじゃないの?ぐらい思っていたら大間違いで。

実は、県内で織ができる工場はたったの、たったの2軒しか残されていないのです。

はらっぱ原山さんと星野さん

それはそうと原山さんめっちゃイケメンやん!

ご本人恥ずかしがり屋さんのため目消しでとお願いされておりますので悪しからずw(販売ページのほうは若干出ちゃってますがわざとピンボケの写真を選んだから許してね)

会津木綿

会津木綿のいいところはどこですか?

原山「使用され続ける歴史もあるし、糸の太さも通常と違うので生地も厚みが出て丈夫。」
その場にいるみんなで頷くなか追って質問。

「糸の太さが違うのはなぜですか?」
原山「あぁ、ここらは綿花栽培で北限の地でね。なので繊維が太くなるんですよ。」
なるほど!綿花が生き残るためにその地に合わせ強くなったのですね。

原山「それにうちの木綿は経糸が双糸なので。」
双糸は二本の糸を撚り合わせてコシを出した糸です。単糸より強度は、2.5倍以上あると言われます。
冬厳しい会津において生地の厚みは重要です。それをカバーできる会津木綿が人々に愛される理由の一つがようやく、分かりました。

織幅38cm、織機で1日に織れるのは20mくらい

大人のワンピースを作るとしたら、生地を余すことなく使用しても3着作れるか作れないか。

加えて明治中頃には最盛期を迎えた会津木綿の生産も人々の生活スタイルの変化により需要が減少し、
かつては30件以上あった織元も現在では2件のみになってしまったそうです。

作り手である織元が減り、生産に時間を必要とする、故に会津木綿はとても貴重な織物となってしまいました。

だからといってココショクが推すわけじゃないんですよ。貴重だから高かろうとかいいものってぇことはありません。

会津木綿って、本質的な意味で、直感的にいいんです。フレンドリー。不思議な魅力がある。木綿なのに。
色もキレイだし伝統的な柄のほうもしっかりモダンだ。こんなお宝が隠れてたのか・・・とどんどんのめり込んでいっちゃうような布。
福島で出会った関係者、ほぼ皆さんが思い思いに会津木綿で作った私物をもっていたのも、うなずける。

打合せの現場での会津木綿の愛され率。

原山さんの後には、実際に制作をしていただいている皆さんと打合せをするために「コパン・クラージュ」さんへ。
熱い議論をさせていただきました。
こういうことはサラっと書くのは難しいのだけど、障がい者支援施設の皆さんの手によって「キュー」は作られています。

だからってそれはそんな重要じゃない。とてもエシカルではあるけど、そこも重要じゃない。

多くの人の想いと、手間と一生懸命さと素晴らしい素材と素敵でシンプルなデザイン。そんなものでキューは出来ています。

キューのトートバッグはこちらからご覧いただけます。→こちら


キューのトート

■サイズ:横幅 35cm(底辺22cm) × 奥行(マチ) 12cm × 高さ 25cm

■素材:会津木綿 / 帆布(持ち手・底・裏地)

■カラー:朱赤 / 抹茶 / スラブ白黒 / からし

■製作:福島県内の福祉施設 杜の花(福島県福島市) / 銀河工房(福島県田村市) / なのはなの家(福島県福島市) / 食工房ひもろぎ(福島県白河市) / コパン・クラージュ(福島県会津若松市)

■企画:hickory03travelers(デザイン) / とイカラシ(製作アドバイス)


9;que<キュー>とは…

「会津を世に出す」 → 「あいづを出す」 → 「合図を出す」という意味の英語に由来します。
映画やドラマの撮影などが開始される時のあの「キュー」です。

会津が誇る伝統工芸「会津木綿」の歴史や品質を通して、全国に「会津を出したい。」という想いから生まれたブランドです。


会津木綿の歴史

会津木綿は天生年間、時の会津藩主蒲生氏が綿花栽培を奨励し、次の藩主加藤氏が伊予松山より「伊予縞」の織師を招き織物技術を広めたのが始まりです。

その後、綿花栽培と織物が奨励され、会津木綿は農家や藩士の妻女の冬の手仕事として人々の生活へ定着しました。

また、会津木綿特有の深みのある藍染めは、当時より染色の材料となる藍の生産が盛んだったことにより、いつからか自ずと施されてきました。
会津木綿の魅力の一つ縞模様も、素地は伊予縞ですが、長い年月のなか人々の手が加わることにより、様々な縞模様が誕生し、
昔はその縞模様で会津のどこの地域か、判別がつくほど地域特有の縞模様も生まれました。

400年以上の歴史をもつ会津木綿は、常に人々の生活に合わせ変化し今もなお、会津の誇りある伝統工芸として継承されています。

11月末、再び福島へSTAFF岩澤が向かいます。現地で悪だくみ。こうご期待。

コメントを残す